戦後に活躍したファンドマネージャー「ジョン・テンプルトン」の投資方針。-『ファンド・マネジャー―相場に賭けた9人の男』より-
『ファンド・マネジャー―相場に賭けた9人の男』(日本経済新聞, 1986年)から「ジョン・テンプルトン」を取り上げたいと思います。
小型ファンドを運用し、成果を上げたファンドマネージャーについて興味を持ったのでこの本を読んでみました。
1.概要
ジョン・テンプルトンは1912年にアメリカのテネシー州で生まれ、2008年に亡くなっている。
初期は小型ファンドのファンドマネージャーとして、柔軟性と小型割安株の保有を重視し、1972年からの7年間では全ファンドの運用成績ランキングで上位4分の1に必ずランクインした。
また、新興国への投資も行っており、日本にも積極的に投資している。銘柄の中にはイトーヨーカ堂などがある。
2.『ファンド・マネジャー―相場に賭けた9人の男』からの引用
・ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発して間もない1939年のある日、ジョン・テンプルトンという若者がフェナー・アンド・ビーン社に立ち寄った。そして証券会社ならまず歓迎しそうもない、実に変わった、面倒な買い注文を担当のセールスマンにした。「ニューヨークとアメリカン取引所に上場している株式で1株1ドル以下のものを残らず、1銘柄について100ドル分ずつ買ってほしい」
・第二次世界大戦が始まったが、その方を聞くや、それまで10年間も続いていた株価不信は今こそ終り、これからはすべての株が活況を呈するだろうと確信した。そして、とくに市場から見放された銘柄こそが最も有望だと考えたのである。
・これが実はテンプルトンのその後の取引のパターンを決めた。まず、見捨てられている銘柄だけを買うことに固執した。次に、買った銘柄は平均4年間保有した。
・テンプルトン成長株ファンドは、その小規模の故に、50倍から100倍もの規模を持つ資産の運用者にはとうてい期待できない柔軟性を発揮できる。規模が小さければ、たとえば10万ドルの小型株投資が2倍になるだけでファンド全体の成績に大きく影響する。
・テンプルトンの投資選択の範囲は多くのし王にまたがっているということだ。アメリカの各取引所だけでなく、日本やカナダの市場にも精通している。さらに、スイス、ドイツ、オランダ、ベルギー、オーストラリア、南アフリカの市場にも詳しい。
・大型で良く人に知られた銘柄には全く興味を示さない。....テンプルトンは自分の顧客が聞いたこともないような小型会社を何十も綿密に調査することを厭わないし、株さえ出てくれば全部買い取ってしまう用意を整えている。
・基本的な考え方をひとことで表せば次のようになるであろう「時価が新の価値を最も下回っている会社を沢山の市場の中から探し出せ」
・「最良の割安株は、人々からまったく無視されている株式で、自分以外の投資家たちが調べてみようとすら思わない株式の中にあるものだ」
・「株価が上昇して、もはや割安ではなくなり、もっと良い、別の銘柄が見つかったら、先の銘柄と入れ替える。」
・会社の評価を下すに際しては、およそ100項目ほどの数字が必要だが、....どんな場合にも外せない項目もある。....①株価収益率②営業利益率③清算価値④成長率...なかでも大切なのは利益成長の持続性である。⑤守るべきことの基本は、柔軟性である。⑥法則や公式は信じるな。
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